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仙台高等裁判所 昭和58年(う)40号 判決

被告人 塩田三郎

昭一八・九・七生 タクシー運転手

主文

本件控訴を棄却する。

理由

(控訴の趣意)

本件控訴の趣意は、弁護人鈴木一美提出の控訴趣意書記載のとおりであるから、これを引用する。(なお、弁護人は、控訴趣意第一は、本件踏切の路面は起伏が大きく、被告人の運転車両の踏切通過は危険であつたが、これを被告人が予め認識することを求めうるか、その予見可能性についての事実誤認を含む趣旨であり、同第二は、被告人が本件車両を踏切内に停止させた行為と本件事故との因果関係についての事実誤認を主張する趣旨であると付加陳述した。)

(当裁判所の判断)

控訴趣意第一(事実誤認ないし法令適用の誤りの主張)について

論旨は、原判決は、被告人が、本件踏切を通過するに際し、本件セミトレーラー車体底部を路面に接触させ又はめり込ませることを予見することは可能であつたのであるから、被告人には注意義務違反があり、過失が肯定できる、と判示するが、被告人が、踏切敷の路面起伏が大きくて危険であつたことを予め認識することは不可能だつたのであるから、原判決には事実の誤認があり、したがつて、被告人に対し結果回避義務を課することはできなかつたのに、原判決が刑法一二九条一項の「過失」、同法二一一条前段の「注意を怠り」に該当するとして右法令を適用したのは法令適用の誤りである、というのである。

しかしながら、原判決挙示の関係証拠によつて認められる事実関係に徴すれば、被告人は、本件車両を運転して本件踏切を通過するにあたり、同踏切の凹凸の程度、状態を知り得、そのうえで、本件車両の形状との対比から、通過に際し本件セミトレーラー底部が踏切路面に接触するなどし、本件車両が踏切上で立往生するかもしれないことを予見することができたものというべきである。原判決が、本件事故現場の状況、本件車両の形状、本件事故に至る経緯等の関係事実を詳細に認定したうえ予見可能性があることについて説示しているところは正当として肯認できる。(ただし、原判決八丁裏一行目の「七月」は「四月」の誤記と認める。)更に所論にかんがみ補足説明すると、所論は、本件踏切は公道であり、また、被告人は本件事故当日の五日前に同一車両に同一物を積載してなんら問題なく本件踏切を通過していることなどを理由に予見可能性はなかつたというけれども、原判決も指摘するように、被告人は事故当日の朝空車の本件車両を運転して本件踏切を通過する際、踏切内のアスフアルト部分が以前よりも色が黒く新しくなつていること、線路の敷板も新しい物と取り替えられていることなどに気付いていたのであるから、五日前に通過できたときよりは踏切路面の凹凸が増幅されているかもしれないことを予見でき、しかも被告人は、本件車両が重量物を積載していた特殊な車両であり、床下を低く改良したものである(証拠略)ことを認識していたのであるから、本件踏切が公道であり、被告人が本件事故当日の五日前に同一車両に同一物を積載してなんら問題なく本件踏切を通過していることを考慮に入れても、車両底部が路面に接触するなどし、本件車両が踏切上に立往生したりするかもしれないことを十分予見することができ、また、予見すべきであつたというべきである。そして、右のような本件踏切と本件車両についての被告人の認識状況等にかんがみると、所論指摘のように、国鉄が路面の状態が悪化したことにつきなんら注意、警告等の措置をとらなかつたにしても、また、本件踏切に種々の欠陥が存し路面の凹凸が車両の沈下、ねじれに大きく影響するとしても、これらのことが、本件の予見可能性あるいは予見義務の存否を左右するものとは考えられない。更に、原判決のようにタイヤ空気圧不調整、不当沈下の点を除いて判断しても、先に説示した予見可能性及び予見義務があつたとする結論に消長をきたさない。なお所論は、グーズネツク前部が路面凸部を通過した後その後部が路面に接触した可能性が大であるかのごとくいうが、(証拠略)によると、グーズネツク前部が線路敷板東端付近にくい込んでいたことが認められるのであつて、所論のようにグーズネツク後部が路面に接触したとはいえず、所論は失当である。次いで所論は、車体底部と路面凸部の接触のおそれを注視することは物理的にも不可能であつたし、また、何人も危惧感を抱かなかつたものと推測され、被告人は五日前なんら問題なく本件踏切を通過しているのであるから、事故時、車両の直近に誘導員を配置し、踏切通過時車体底部と路面凸部が接触しないかを注視させなかつたとしても、過失が存するとはいえないという。しかし、(証拠略)により認められる本件踏切の状況、本件セミトレーラーの形状に被告人の当公判廷における供述等を併せ考えると、地面に伏せるなどして車体底部と路面凸部の接触のおそれを注視することは可能であつたと認められ、このような場合、被告人は誘導員をして本件セミトレーラーの車体底部が路面の凸部に接触しないように絶えず確認させ、その指示に従つていつでも直ちに停止できるように最徐行しながら前進して本件車両が踏切上で立往生するなどの事態の発生を防止すべき注意義務があつたというべきである。五日前に問題なく通過できたからといつて右回避義務を尽くすまでもないとはいいえないのであつて、五日前誘導員らが車体底部と路面との接触について注意を払つたことはなかつたにしても、その当否自体問題であり、そのことが本件における回避義務を否定すべき事由になるとは解しがたい。このように被告人には原判示の注意義務があつたのに、被告人がこれを怠つたことは明らかであるから、被告人の右注意義務違反の行為が刑法一二九条一項後段、同法二一一条前段の過失にあたるとして右各条項を適用した原判決の認定、判断は正当として肯認できる。なお、記録及び証拠物を精査し、当審における事実取調べの結果を併せて検討しても、原判示の過失に関する認定判断に合理的な疑いをいれる余地はなく、所論の事実誤認ないし法令適用の誤りはない。したがつて、論旨はいずれも理由がない。

控訴趣意第二(事実誤認の主張)について

論旨は、仮に被告人に本件車両を本件踏切に立往生させた点に過失があるとしても、被告人のその後の措置を正当に評価すると、列車運転士が前方注視を含む職務上の注意義務を怠らなければ、東京起点二三〇・七九〇キロメートルの地点(以下、単に二三〇・七九〇地点という。他も同様。)の信号炎管の点火に気付き、踏切を展望できるはるか手前で二三〇・一五五地点の炎管の燃焼を確認し、踏切を見通せる地点までには列車停止の措置に着手し、踏切内の本件車両をいちはやく発見して衝突事故を回避できたはずであるのに、列車運転士の過失により衝突するに至つたのであるから、被告人が本件踏切内に本件車両を停止させた行為と本件事故との間には相当因果関係がない。しかるに、原判決は、本件踏切そばの監視塔にいた監視員が被告人の依頼により非常ボタンを押した時期、列車運転士が信号炎管から出ている点火後間もない煙を発見できた地点についての判断を誤り、被告人のとつた事後の措置は通常列車運転士をして列車を踏切手前で停止させるに足りるものではなく、列車運転士には過失がないとし、被告人の行為と本件事故との間に因果関係があると認定しているのであり、原判決には事実の誤認がある、というのである。

しかしながら、原判決挙示の関係証拠によれば、被告人が原判示の注意義務を怠り、本件車両を本件踏切内に進入して通過しようとした本件過失行為と本件の列車転覆、被害者の受傷(以下、本件結果という。)との間に刑法上の因果関係が存在することを十分に肯認することができる。すなわち、被告人の右過失行為による本件車両の踏切での立往生がなければ本件結果が生じなかつたことは明らかである。そして、当時車両の運転者としては、本件踏切が昼間頻繁に列車が通る東北本線の踏切であるから、列車が踏切に接近しているかもしれないことは通常容易に予測しえたのであり、右のような場合(本件車両が本件踏切内に立往生した後列車の転覆事故発生までの時間は、仮に被告人の実験結果等をもとに算出してもわずか二分前後である。)、非常ボタンで信号炎管に点火し列車運転士に対し危険を告知したとしても、列車の制動距離との関係上遅きに過ぎ、あるいは、列車運転士がその発煙を発見するのが遅れたりすることにより、踏切上に立往生した車両と列車が衝突するおそれのあることは経験則上通常予想しえられるところであつたというべきである。したがつて、本件における右のような事実関係のもとにおいては、所論の指摘する列車運転士の信号炎管の発煙の発見が遅れた過失の有無にかかわらず、被告人の本件過失行為と本件結果との間にはなお刑法上の因果関係があるといわなければならない。

そして、更に記録及び証拠物を精査し、当審における事実取調べの結果を併せ検討しても、被告人の過失行為と本件結果との間に刑法上の因果関係を否定すべき事由を見いだすことはできず、右因果関係を肯認した原判決に、判決に影響を及ぼすことの明らかな事実誤認等のかしがあるとは思われない。

したがつて、これに反する所論は採用しがたく、論旨は結局理由がない。

控訴趣意第三(量刑不当の主張)について

論旨は、仮に被告人が過失責任を問われるとしても、原判決の量刑は重過ぎて不当である、というのである。

そこで、記録及び証拠物を精査し、当審における事実取調べの結果を併せて諸般の情状を検討すると、被告人は大型特殊車両の運転者として重量約二七トンもの杭打機を積載して運転する場合、道路の状態、本件車両の形状に十分留意し、その特性にそつた運転を心掛けるべきことはいうまでもなく、まして本件のように、右車両が踏切に立往生すれば列車と衝突するという重大な事故が生ずるおそれのある場合には、特に慎重に、誘導員をして車体底部が路面に接触したりしないように確認させ、その指示に従つて運転し、自車を踏切内に停滞させて列車と衝突することのないようにすべきであつたのに、被告人はこの基本的な注意義務を怠つたものであり、したがつて、被告人は本件事故五日前に本件と同じ杭打機を本件車両に積載して本件踏切を安全に通過していること、その後事故直前に本件踏切の改修工事によつてその路面の起伏が増幅したことが本件事故の誘因となつていると認められること、公道の一部をなす本件踏切がそのような状況にあつたのにもかかわらず、これを管理する国鉄側の通行車両等に対する注意、警告の措置が不備で踏切における安全の配慮が不十分であつたことがうかがわれることなどを考慮に入れても、被告人の本件過失の程度は大きいといわなければならない。また、その結果について考えると、被告人の本件過失行為と刑法上因果関係を有する列車との衝突、その転覆により東北本線の列車ダイヤに二日間にわたり多大の支障が生じ、そのもたらした財産上の損害も大きく、社会に及ぼした影響は甚大であり、また受傷した列車運転士に与えた肉体的、精神的影響も軽視しえないものがある。したがつて、被告人の本件所為は厳しい非難に値し、その責任ははなはだ重いというべきである。なお、前述のように所論は列車運転士の前方不注視の過失をいうが、原判決が(弁護人の主張に対する判断)三の項で列車の運転士である原裁判所の証人霞庄三に対する尋問調書を含めた関係各証拠により認定しているところは正当として肯認でき、右認定によれば、霞運転士が現に二三〇・一五五地点に設置してある工事用信号炎管の煙を発見した地点が二三〇・三八四地点であるのに対し、実験の結果右信号炎管の燃焼を列車運転室から発見できる地点が二三〇・三四九七又は二三〇・四六九七地点(証拠略)であることにかんがみても、霞運転士に前方注視の点について責むべき落度があつたとは認めがたい。所論は、列車運転士が二三〇・一五五地点の信号炎管が発煙しているのを発見した地点からは右側切取りのため踏切を見通すことができなかつたとするなら、右地点は列車運転士が最初に煙を発見したと原判決が認定している二三〇・三八四地点ではありえず、そのはるか北方であつたはずであるというが、押収してある列車脱線事故状況写真集一冊(証拠略)によると二三〇・四〇〇地点の手前からは割山で右前方が見えないのであり、列車の速度をも考えると、必ずしも所論のようにはいえず、(証拠略)に照らし、所論はたやすく首肯しえない。更に所論は、被告人の供述等に基づいて、本件車両が本件踏切に立往生した後被告人がとつた行動とそれに要する時間、それらから推定される列車位置、信号炎管が発煙するのに要する時間などからすると、列車運転士は二三〇・一五五地点の信号炎管より更に手前に設置されていた二三〇・七九〇地点の信号炎管の点火に気付き、本件事故を回避できたはずであるというが、所論指摘の時間については秒単位で必ずしも正確な数値を求めがたい部分もあり、したがつて計算上の推測によつて列車運転士の信号炎管の煙を発見した地点を所論のように断言することは困難であり、更に関係証拠に照らしても、列車運転士について、本件事故の責任の一半を帰せしめるのを相当とするような責むべき落度を見いだすことはできない。したがつて他方において、被告人が本件車両を本件踏切上に立往生させた後、その踏切敷地内の異常を列車に知らせるため、周章狼狽して警報器の非常ボタンに思い及ばなかつたものの、付近の新幹線工事現場の監視員に依頼して工事用信号炎管に点火してもらうなどして結果回避に懸命につとめたこと、前述した国鉄側の責めらるべき事情、国鉄が、本件事故により受けた損害は九五五七万九三六四円であるとして株式会社松村組に支払を請求したのに対し、同会社が全額支払い、国鉄の損害は填補されていること、人的被害は比較的軽微であつたこと、被告人には業務上過失傷害等で罰金刑に処せられたことがあるほか前科はなく、長年真面目に稼働してきたこと、(証拠略)によれば、被告人もそれなりに反省しているものと認められること、被告人の経済的事情、仕事の状況など被告人のために有利なあるいは同情すべき諸事情を十分考慮に入れても、被告人を禁錮一〇月に処し、二年間という短期の執行猶予に付した原判決程度の量刑はやむをえないところであつて、原判決の量刑が重過ぎて不当であるとはいえない。論旨は理由がない。

控訴趣意第四(訴訟費用負担についての主張)について

論旨は、原判決が訴訟費用の全部を被告人に負担させたのは失当である、というのである。

所論にかんがみ、記録を検討すると、所論のいう各鑑定料は、刑の言渡しをした事件の審理上必要であつた費用で、かつ審理の経過及び結果にかんがみ、被告人に負担させるのを相当と認めた原判断が裁量の範囲を逸脱した違法なものとは解されず、また、記録に徴しても、私選弁護人の付されている本件において、被告人が貧困のため訴訟費用を納付することのできないことが明らかであるとは認めがたく、当審における事実取調べの結果を併せて検討しても、右認定を動かすに足りない。してみると、原判決が被告人に対し、本件につき有罪を言い渡すとともに本件の審理に要した右各鑑定費用を含め原審における訴訟費用の全部を負担させることとしたのは首肯しえないものではなく、裁量の範囲を逸脱したものとはいえない。論旨は理由がない。

よつて、刑事訴訟法三九六条により本件控訴を棄却することとし、主文のとおり判決をする。

(裁判官 粕谷俊治 小林隆夫 小野貞夫)

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